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福岡高等裁判所 昭和59年(う)238号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

控訴趣意中法令適用の誤りの主張について

所論は、本件は、公職選挙法一三八条一項、二三九条三号の戸別訪問禁止規定と同法一四六条、二四三条五号の脱法文書頒布制限規定が言論・表現の自由を保障した憲法二一条一項に違反しないかどうかが争われた事案であるのに、原判決は、選挙制度に関する規制の合憲性の判断にあたつては、(一)その規制目的が正当であるか、(二)右規制目的と規制手段との間に合理的関連性があるか、(三)規制によつて得られる利益が失われる利益を上まわつているかという基準によつたうえ、規制目的を正当ならしめる諸弊害、これらの諸弊害が現実化する蓋然性などを証拠に基づかないで認めるなどし、戸別訪問禁止規定及び脱法文書頒布制限規定がいずれも憲法二一条一項に違反しないとして合憲の判断をしているが、憲法訴訟においては、先ず、当該法規の憲法適合性を基礎づける立法事実が確定され、次いで立法事実の存否が証拠によつて判定され、その結果、立法事実が存在しないということになれば、当該法規に対して違憲無効の判断が示されなければならないところ、本件の訴訟記録及び原裁判所において取調べられた証拠中に右判決が合憲性の判断において挙げるような戸別訪問に関する買収や利益誘導等の諸弊害、文書頒布を規制する必要の存する我が国の実情などの立法事実を認定しうるものは存在しないから、原判決には証拠に基づかずに観念上想定した立法事実により、その憲法適合性を判断するという憲法訴訟における手続面での誤りと不当性があり、また、憲法の実体面でも、原判決の挙げる戸別訪問及び文書頒布についての諸弊害は実証されたことがなく、現在においても合理性のない弊害論であるうえ、言論・表現の自由を保障した憲法二一条一項の制約基準を示すことなく、憲法の解釈として許されない大巾な裁量を認める立法裁量論を採用するという重大な誤りがあり、その結果、公職選挙法一三八条一項、同一四六条の各規定が言論・表現の自由を保障した憲法二一条一項と国民主権原理に基づく参政権を保障した憲法前文、一五条に違反して無効であるのにかかわらず、その解釈を誤つて合憲であるとした法令適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない、というにある。

そこで所論にかんがみ検討するに、先ず、記録及び原裁判所において取調べられた証拠に基づかないで憲法適合性を判断している訴訟手続面の誤りを言う点については、国会の定める選挙制度に関する規制立法の合憲性の判断にあたつては、いわゆる立法事実が考慮されて判断が合理的な基礎の上に立つものであることが必要であるが、右立法事実は立法府が立法の資料として収集、認定する事実と同質のものであり、証拠により認定されるべき過去に一回限り起つた特定の事実である司法事実と異なり、法律問題としてその判断の過程で司法認知しうるものであるうえ、公職選挙法における戸別訪問の禁止及び文書頒布の制限についてのいわゆる立法事実に関しては既に累次の判断や諸文献等があり、これらによりいわゆる立法事実は充分認知しうるから原判決に憲法判断の訴訟手続面において所論のような誤りと不当性があるとはいえない。

次に憲法の実体面における違憲の主張の点については、〈中略〉国会の定める選挙制度に関する規制が立法裁量を逸脱せず憲法に適合しているか否かの判断にあたつて原判決が説示する〈中略〉基準は、言論・表現の自由、とりわけこれらの政治的表現の自由が民主主義体制の基礎をなすものとして極めて重要な権利であり、その制限にあたつては慎重であらねばならないことを当然としつつも、選挙の自由と公正を確保する公共の福祉のために必要かつ、合理的な規制として、立法の必要性、目的達成への手段の合理的関連、利益の優越という三要件をすべて満たすことを必要とする厳密な制約方法であり、言論・表現の自由を保障する憲法二一条一項に違反しないかどうかを判断する制約基準として正当なものと考えられ、戸別訪問の禁止及び文書頒布の制限は、右制限基準に照らして憲法二一条一項に違反しないし、また、これらは国民主権を否定するものでもなければ、国民が普通選挙、秘密投票によつて公職者を選挙する権利を規制するものでもないから、憲法前文及び同法一五条に違反するものとは到底いえない(なお、最高裁判所昭和五六年七月二一日第三小法廷判決、刑集三五巻五号五六八頁参照)し、戸別訪問を禁止し、文書頒布を制限する立法の必要性、立法目的達成への手段の合理的関連などを裏付けるものとして、戸別訪問は買収、利益誘導等の温床となりやすく、これを放任するときは候補者間に戸別訪問の競争を激化させて多額の出費を余儀なくさせ、また、投票を情実に支配されやすいものとし、更には選挙人の生活の平穏を害するに至ること、そして、戸別訪問の許容によつてこれらの諸弊害が現実化する蓋然性はかなり高いこと、また、文書頒布を放任した場合、経済的強者が経済的弱者に対し選挙活動において優位を占める結果となつて候補者の実質的平等を害し、無責任文書や中傷文書が頒布されて異常な選挙戦が展開され選挙の適正な執行が害されること、加えて、我が国の実情を見るとき、文書頒布の制限を必要とする状況がなお存することなどは前記の判例、文献等から裁判所に顕著なものとして司法認知されるものであり、なお、選挙制度は各候補者が選挙の公正を確保するために定められたところに従つて運動することを予定されているもので、そのルールをどのようなものにするかについては、立法政策に委ねられている範囲が存するものであり、国会が我が国の選挙の実態など諸般の事情を考慮した結果、一定の選挙運動行為が憲法上の保護を受けるべき価値を伴うものであつてもその行為を規制する方が全体としての選挙の自由と公正を確保するうえで望ましいとの判断に立つときは、当該選挙運動行為を規制する権限を有するものであり、憲法四七条も右のことを当然予定しているものと理解しても、これが憲法の解釈として許されない大巾な立法裁量論を採るものとは到底考えられない。

してみると公職選挙法一三八条一項、昭和五七年法律八一号による改正前の公職選挙法二三九条三号並びに公職選挙法一四六条、右改正前の公職選挙法二四三条五号の各規定がいずれも憲法二一条一項に違反する無効な規定ということはできないとの判断を説示し、また、右規定が憲法前文、一五条に違反するものでないとの前提に立つて判決した原判決は正当であつて、原判決に所論のような法令の適用の誤りのかどはない。論旨は理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(吉田治正 井野三郎 坂井宰)

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